楊枝のお加持と大的大会

年中行事

楊枝のお加持結願大法要
7日の間、祈願した法水をやなぎの枝で参詣者にそそぎ、無病息災を祈願。
開山・後白河院ゆかりの特別な法要です。

その始まりは伝説的で不明ですが、桃山時代には、すでにおこなわれたと伝えられています。
「通し矢(とおしや)」は、お堂西縁の南端から120メートルの距離を弓で射通し、その矢数を競ったもので、矢数をきめて的中率を競う「百射(ひゃくい)、千射(せんい)」等があり、江戸時代、殊に町衆に人気を博したのは「大矢数(おおやかず)」で、夕刻に始めて翌日の同刻まで、一昼夜に何本通るかを競うもので、慶長11年(1606)の浅岡平兵衛の試技以来の武芸者の栄誉をかけたものとなり、尾張、紀州の二大雄藩による功名争いは、人気に拍車をかけ、京都の名物行事となりました。
「矢数帳」には、通し矢法を伝承した〈日置六流(へきろくりゅう)〉の江戸期の試技者氏名、月日、矢数などが編年で書き留められており、最高記録は、貞享3年(1686)4月、紀州・和佐大八郎(試技年齢は18歳という)の総矢13,053本、通し矢8,133本で、強靭な身心にしてこそ可能な凄絶な競技だったことが窺えます。

和佐大八郎掲額
通し矢がおこなわれたお堂の軒下